日本シリーズで駒田徳広の「バ~カ!」発言の真嘘は

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日本シリーズで駒田徳広の「バ~カ!」発言の真嘘は

100試合以上おこなわれるペナントレースとは違い、負けたら終わり、甲子園さながらに本気でぶつかる「日本シリーズ」が、今年も10月19日からスタートする。

日本一を争う場では、「最高峰の仕事」が勝負の行方を左右してきた。その舞台裏にあった「ドラマ」を聞くべく、元巨人の駒田徳広さん(57)を訪ねた。

1989年、巨人に3連勝した近鉄・加藤哲郎の「(巨人は)たいしたことがなかったですね」は球史に残る「舌禍事件」だ。これに奮起した巨人がその後3連勝。さらなるドラマは最終戦に。

駒田さんが2回表に先制本塁打を放ち、三塁を回る際に、マウンドの加藤に「バ~カ!」と叫んだように見えた。巨人が第7戦に勝利し、大逆転で日本一となったが、それ以上に「例の場面」が、ファンの記憶に強く刻まれることになった。

「巨人は3連敗していたし、『たいしたことない』と言われても仕方なかった。まあ、いろいろ書かれたり、言われたのは、マスコミが盛り上げようと思ったからでしょう。

実際のところ、加藤君の発言で、チームの雰囲気がガラリと変わったということは、なかったですね。気合を入れれば勝てるほど、プロの世界は甘くありません。

でも、逆襲のひとつのきっかけにはなったのでしょう。土壇場に追い込まれていたし、『いかに勝つか』を考えていました」

「バ~カ!」発言を問うと、「言いました」と即答。

「思ったことを言っても、僕はいいと思っています。自己責任でね。でも、プロならファイティングポーズを取るのは当たり前のこと。だから、あのときもいまも、加藤君に何か思うところは一切ないです。

日本シリーズはやはり別格。ペナントレースとは全然違った。試合前の『君が代』を聞いたとき、奮い立つものがあったことを覚えています」

駒田さんはそのとき、シリーズ打率.522でMVPにも輝いた。引退後は2016年から2019年9月まで、「高知ファイティングドッグス」の監督を務めていた。現在は野球解説者として活動中だ。

こまだのりひろ
1962年9月14日生まれ 奈良県出身 ドラフト2位で1981年に巨人入団。1983年、史上初となるプロ初打席で満塁本塁打。2000年に2000本安打を達成した。ゴールデングラブ賞は、一塁手としては史上最多の10回受賞

参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191020-00010001-flash-ent

ネットの声

名無しさん
流れを変えたのは香田投手の快投ですね。
名無しさん
マスコミによって誇大に伝えられたが、加藤氏はあの発言で記憶に残る選手になったのはよかったかもと言ってたな
名無しさん
30年経った今でも、みんな藤田巨人の稀有なエピソードで持ち出してくれるけど、これだけ魅力溢れる現象だったのは、一番に長嶋・王去った後、社会全体がその幻影を追い求めるのをよそに快進撃を続け、日本一になったからだといつも思ってる。
藤田以前、何となく毎日優先して中継される巨人戦を眺めると、実況も熟練、決まり文句は「‥ま、ここで王が居れば、長嶋が居ればですね。」いつの話だよと、他人事ながら怒りを感じたもの。権威主義の象徴の巨人で、選手達はまるで過去の幻影の引き立て役の様な扱いだった。
日本一になった選手達には生え抜きが多く、優勝パレードは集まっても、読売新聞社の出口のまん前に簡単に待ち構えられた。二階建てバスの上に乗った選手達の中で、若い岡崎が道に溢れる大勢のファンを、如何にも初めて見る表情で一瞬呆然と眺め、その後気づいた様に「オー!」とガッツポーズをした姿が未だに忘れられない。
名無しさん
仮に今の巨人に現役時代の岡崎、駒田がいて、阿部の後の6、7番を打ってくれれば、これほど頼りになる下位打線コンビはないんだけどな。
2人揃って左投手も関係なく打っていたし、何せあの勝負強さはとても数字では語れない。
あの年のクロマティはシリーズではまともに勝負されなかったし、原も絶不調。
最後までMVPを争った岡崎、駒田の活躍がなければ、間違いなく巨人は日本一にはなれなかった。
名無しさん
あの時は中学生だったんですけど、休日だったのでじっくりと観戦してました。
大洋ファンの自分でも加藤氏の発言には怒りを覚え、巨人負けるな!と思ったものです。確かにロッテより弱い。とは言ってないけどね…。
それを受けての最終戦、とにかく良く打ちましたね。駒田の一発に加え中畑のアーチには感動した。近鉄も食い下がったけど凌ぎ切って日本一。
非常に思い出深い日本シリーズです。
…経歴に横浜についても入れて頂きたい。
名無しさん
今から30年前でしたか、懐かしいです。高校の社会科教室で先生と観ていました。アンチ巨人の先生が勝っていたら、見せないと言っていましたが、中畑清だけは好き先生で、たまに映る姿で許してもらっていました。岡崎、駒田がMVPを競っていて、クロマティが活躍し、原が不調ながらホームランを打ったり、香田が好投したり、と今でも思い出します。何より、藤田監督の采配が印象に残ります。


名無しさん
香田投手が緩急をつけたピッチングで好投。近鉄打線は緩急に対応出来ないという弱点を見つけたのが大きかった。
好きな食べ物は?321Q〜
阿波野投手がフル回転していれば、日本一になっていたかも、高柳投手から崩れきた印象がある、三連勝した時は楽勝にヨンタテ行けると子供ながら見ていた。
名無しさん
加藤のあの発言がなくても巨人は4連勝していたでしょうね
でもあの発言のおかげで今でも記憶に残る日本シリーズになったのだからそれはそれでよかったのでは?
名無しさん
この件も今に至るまで色々な事が言われているが、一番の被害者は全く無関係であるにもかかわらず引き合いに出されてイメージを落としたロッテである事は間違いないだろう…
名無しさん
あの頃の日本シリーズは今みたいに交流戦もなくセ、パの覇者がぶつかる本当にワクワク楽しみなシリーズだったな。
対戦経験のない投手打者同士の対決ホントに楽しみだった
名無しさん
記事を読んで思った・・・マスコミは「チームに勢いがある・真っ向勝負・直球勝負」などの言葉を使わないでほしい。プロは気合いや勢いや力だけでは勝てない。私はプロ野球選手の経験ないけど。


名無しさん
当時はセリーグとパリーグはかなり人気に差があったし、普段よりお客さん多くて舞い上がってしゃべり過ぎ、意味無く相手の闘志に火をつけちゃった、と。
駒田はどうみても嫌ってただろうな、当時は。
名無しさん
子ども心によく覚えてる。パリーグ終盤戦の西武近鉄のダブルヘッダーなど、記憶に残るシーズンだったね。
名無しさん
昔は、色々華あったし、面白いパフォーマンスも有ったし迫力満点やって楽しかったのになぁ。今は坦々と試合こなしてるし華がある選手が少なすぎやし居ても昔ほどやないから何とかしなあかん
ぽんぽこ
香田の2安打完封は良かった。
あと、不振だった原のホームラン。
加藤哲郎も、巨人はロッテより弱い、とは明確に一言も言ってないのにな。
そもそも、彼自身この年はロッテに勝ってなかったような。
名無しさん
確かに駒田さんの言う通り、気合い入れれば勝てるほどプロは甘くないですよね。
それにしても、楽しい日本シリーズでした。あのシリーズのMVPが駒田選手だったとは知りませんでした。
名無しさん
加藤の発言がなければ近鉄は日本一になれていたのかもね。近鉄は唯一日本一になったことがない球団で無くなってしまったから。


下朝鮮は世界の盲腸
日本シリーズの駒田と岡崎の爆上げぶりは別格にすごかった記憶ある
名無しさん
今と違ってセとパで人気に圧倒的な差があった時代。
特に巨人はその代表的存在でいつもガラガラの球場で試合してたパの選手には実力はこっちが上って反骨心があった。
3連勝した時点でやっぱりそうだろ?ってちょっとドヤって言ってしまった失言だったね
匿名希望
その後横浜に移籍、2000本安打を達成した。
経歴をちゃんと書かなきゃ失礼だぞ。
名無しさん
見た目は穏やかそうだが、決してそんなことはなかった。巨人を出たのも横浜をクビになったのも首脳陣と衝突したせいだからね。やくみつるの漫画ではまあ酷く描かれていたが、駒田本人は本気で頭にきていたようで、引退後に謝られた時には無視したらしい。
青い惑星に立つ道化師
今でも昨日のように覚えてるわ。
それだけの一連の騒動でしたからねー
加藤がいらんこと言わんでも良かったのに、、、
名無しさん
あの頃のプロ野球は面白かった。
日本シリーズの西武も憎たらしい位強かったね。
中畑のホームランも引退に花を添えたよね。


名無しさん
藤井寺球場に徹夜してチケットを買ったのが昨日のことのように思い出されます。
名無しさん
駒田、吉村、槙原の50番トリオに斎藤、桑田。高卒生え抜きスターが活躍した時代はよかった。
名無しさん
打率522はスゴイ
シリーズ男だな。
駒田といえば横浜時代に、
客と口論してたのがおもろかった!
名無しさん
気合を入れれば勝てるほど、プロの世界は甘くありません。と駒田さんが言われてみれば、確かにそうだったと思う。
当時の日本シリーズはよく覚えている。3連勝した時の、近鉄首脳陣から選手の浮かれ振りが酷かった。まだシリーズ中なのに勝ったつもりになってテレビ出演までしたり、
3勝1敗にされた時も、近鉄選手は負けた試合後なのに余裕シャクシャク、監督も「まだ1敗」とコメントして、
近鉄OBやファンから、調子に乗り過ぎだ!の声も聞こえたくらい。
近鉄の慢心、第四戦で巨人先発の伏兵・香田がまさかの完封勝ちでシリーズの流れが巨人にいった
名無しさん
あのシリーズ、香田が2勝しなかったかな?
私的には香田がMVP級でした。
その後もコーチとして長く活躍してるのを見ると嬉しく思います。
見てから、決めろ―!!!
中学時代選抜予選で負けた、駒田は、それほどたいした打者ではなかった。それより、1級後輩の若井(PL→法政→日石→南海)野球超エリートの方が、数段凄かった。決勝はウチと岡本和真(巨人)出身の中学を相手に逆転サヨナラ2ベースを打った、吉村禎章(巨人)の中学との決勝となったが、ウチがマグレで打ち勝った。40年以上前の自慢できる良い思い出。


名無しさん
懐かしいですね!日本シリーズに色んなドラマがあった時代。とても盛り上がりました。駒田氏の活躍は凄かった。セ・パのシーズン覇者が戦うシステムに戻してくれないかなぁ…2位以下のチームが勝って日本一言われても、何かしっくりこない
名無しさん
小2だったけど、巨人3連敗でどうしたかと思ってるうちに4連勝。中畑さんの藤井寺のホームランが印象的でした。
名無しさん
この頃の日本シリーズは、何か他流試合みたいな独特の雰囲気と迫力、緊張感があった。それに加え加藤の発言、なんか殺伐としてたなぁ。
名無しさん
今思うと子供の喧嘩みたいだ。
ノアズアーク
まだシーズンのほうがきつかったですね。四球さえださなければなんとか押さえると思ったんで
名無しさん
昔は交流戦なんかなかったし
そこまでチーム外とは仲良く無かったからねぇ


cojanbo
3連敗から4連勝凄かったな
名無しさん
「バーカ」は子供じみた行為だけど、今だったらちょっとした問題になるね。
名無しさん
不倫は文化もそうだけど、本人たちは切り取られたみたいに言うけど、全部聞くと実際はもっと酷いこと言ってるんだよな
短期決戦で三連勝したくらいで、しかも自分はたったの一勝で相手の力量を把握した傲慢かつ対戦相手に対する敬意を微塵も感じさせない不快な言動でした
名無しさん
奥さんに関する疑惑の真偽の方が知りたい
鯉男子
日本一まであと1勝の近鉄にとっては屈辱
近鉄はマスコミに悲願の日本一を阻止されたも同然
名無しさん
原の不振
全く打てなくなったよなー
変えたのは香田の緩急あるピッチング
70キロ台?80キロ?
いてまえ打線を翻弄してたな


名無しさん
加藤は某ラジオ局の解説してるときも余計な一言が多かったと聞いたけどまさに奴の余計な一言が無ければ近鉄はそのまま日本一になっていたかもしれんわな!
アモーレ 波平
楽しいブロやきうの時代だったなあ。
名無しさん
いくら自己責任でも思ったことを全て言ってはいけません
色々周りに迷惑をかけます
子供ではないのですから
名無しさん
加藤は麻雀教室の先生まだやってるのかな。
名無しさん
日本シリーズ第4戦、学校サボって見に行ったよ!
香田がナイスピッチングしたから4連勝できた!
いい思い出です!
名無しさん
加藤哲が憎たらしいというより、選手はアドレナリン全開で戦ってたということなんだね。


名無しさん
今の選手は他チーム間も仲良くお遊びみたい。もっと闘争心が必要です。
名無しさん
駒田好き。
横浜時代にスタンドのヤジとケンカしてるのとか面白過ぎる。
名無しさん
あれ?
横浜にFAして移籍したのは、黒歴史なの?
名無しさん
最初の結婚の時に子供が生まれたら黒人だったって本当の話ですか?
名無しさん
駒田さんは,スタンドのヤジにも真剣に怒って,言い返していた(笑)
憎めないキャラで,個人的にはファンでした.
名無しさん
実際は、川相が異常に怒っていただけ。


名無しさん
苦しんでいた原の満塁弾、中畑のなんちゃってホームラン、香田の流れを変えたピッチング、色々楽しめたシリーズでした。
名無しさん
NPB史上最強最大のフラグだった
名無しさん
巨人の選手っぽくなくて、駒田選手好きでした。
名無しさん
懐かしい
最終戦見に行ったわ
中畑選手は最後
クロマティと万歳
ブライアントはフリーバッティングで金がとれると当時思った
名無しさん
∇「加藤君に何か思うところは一切ないです」
であれば、あんなに感情的な発言はないでしょう。
むちゃくちゃ腹が立ったんだよ。って言いなさい
名無しさん
加藤は「巨人はロッテより弱い」なんて言っていない。
あれでますます巨人と駒田が嫌いになった。

管理人の率直な感想

珍プレー好プレーの常連選手でいつも笑わせてくれました。
当時話題になったことを憶えています。
あの時の巨人はかっこよかったですね。

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